公営のお墓は自治体による管理ブログ:10-8-2018
生まれたばかりの息子を抱いたとき、
あたくしはもろくて壊れそうだと感じました。
これまで出会った何者にも似ていない赤ん坊は
ただ弱々しく震えるばかりで、
あたくしはかたまってしまいました。
人の命をこれほど間近に感じたのは初めてでした。
無事に育ってくれるかどうか不安でたまりませんでした。
今1歳になった息子は毎日笑顔を見せてくれます。
あたくしは、ときどき実家に帰ってパパに会います。
月並みですが、老けたなぁと感じます。
お子さんのときから、
パパとはあまりいい関係を築いてきたとは言えません。
いまパパを見て、不器用な人だなと思います。
摩擦も多かったことでしょう。
でも、ときどき、
パパの中に自分の姿を見ることがあります。
息子も、
どこかであたくしに似るのかもしれません。
勝手に学校や仕事を辞めてしまうかもしれないし、
知らないうちに家族を作っているかもしれません。
そうなったら多少苦労するだろうな…とは思います。
ただ、何があっても
戻れる場所を作っておこうとも思います。
まだ息子がこの世に存在する前に、
もし障害を持って生まれてきたら…ということを考えました。
もしかするとパパもまた、
同じことを考えていたのかもしれませんね。
毎日の生活は
確かにお子さん中心になっています。
奥さんとの会話もほとんどがお子さんがらみの話です。
人の子は
こんなにも愛情を必要とするものだったのですね。
今もまたうでの中で眠ってしまった我が子が、
そんなことを忘れて自立した後でも、
親の方にはいつまでも記憶が残るものでしょう。
今はまだ親の指を握るのが精一杯のその手のなかに、
そのまたお子さんを抱える日が来るのでしょうか…