公営のお墓は自治体による管理ブログ:03-3-2018
昨年の夏のこと…
自宅近くの大きな公園で、
小学校六年になる双子のむすこたちが、
友達たちとサッカーに興じていた。
やがて、双子の下の子から
「お父さん、レフェリーやって!」と声がかかり、
木陰のベンチにいたわたしは「おう」と重いコシを上げた。
その時、わたしは何の脈絡もなく、
あの日の出来事を、突然、思い出した。
四十年近くも前の夏の日…
むすこと同年齢だったわたしは、自転車で外へ出た。
いつもの遊び場とは違う、繁華街へ…
途中で友達二人が合流し、
目的地では、さらに友達が増えた。
そこへ、父親がやってきた。
行き先を母親に聞き、列車で二駅分を先回りしたのだという。
そして、父親はみんなに言った。
「みんなあ、きょうはどうする?
おじさんと一緒やったら、ゲームセンターも行けるで。
それか、冷たいもんでも飲むか?」
ところが、わたしは次の瞬間、
「お父ちゃん、帰ってや。きょうは僕らだけで遊ぶから帰って」
と言ったのである。
しばらく、問答が続いた。
戸惑う友達たちをよそに、わたしは「帰って」と言い続け、
やがて父親は帰った。
夕方、自宅に戻ると、母親に呼ばれた。
父親の姿はない。
「あんた、何を言うたの? お父ちゃん、泣きながら帰ってきたんやで…
あんなに悲しそうなお父ちゃんは見たことない」
反抗期の始まりだったのかもしれない。
自分たちだけの世界に大人が来ることがいやだったのかもしれない。
わたしは、あの夏の日の父親と同じ年齢になった。
サッカーに興じるお子さんたちを前に、
突然思い出した「父親が泣いた」という母親の言葉。
わたしは急に悲しくなった。過去を悔やんだ。
そして「レフェリーやって!」という声の方に歩きながら、
わたしは不覚にも涙し、
お子さんたちがにじんで見えた。