いろいろ形が用意されているお墓ブログ:09-11-2013
未熟児で生まれたぼくは病弱で、
小学校に入るまでは病院と縁が切れず、
入退院をくり返していた。
歌が得意なぼくは、
ベッドの上でおもちゃのピアノを叩いては歌い、
看護婦さんにアメやチョコレートをもらっては、
上機嫌だったとお母さんに聞かされた。
「三つ子の魂百まで」と言うけれど、
ぼくのピアノ好きはその頃から始まったらしい。
ぼくは戦後の混乱の中で小学校に入学した。
先生のピアノ伴奏に合わせて歌いながら
ぼくもピアノがほしい、
弾けるようになりたいとずっと思っていた。
しかし敗戦後の衣食住にもこと欠く時代のこと、
バラック住まいのぼくの家にピアノは高嶺の花だった。
ぼくが高校生になって間もない頃、
同じコーラス部に席を置く友人の家に遊びに行った。
応接間に黒塗りのピカピカのピアノが鎮座し、
友人が「弾いてもいいよ」と鍵を開けてくれた。
ぼくは学校にある壊れかけたオルガンで練習していた
「春の小川」を両手で弾いてみたが、
ぼくの春の小川はさらさら行かなかった。
友人の家で恐る恐る触れた鍵盤のひんやりと冷めたい感触と、
ウエストにズンと響く重い音が、ピアノへの憧れを一層募らせた。
興奮さめやらぬぼくは
その夜、パパにピアノを買ってほしいと懇願した。
パパは一瞬、困惑した表情をみせたが…
「この狭い家にピアノを置く場所が何処にある。
ピアノを弾く暇があったらもっと母さんの手伝いをしろ!」
吐き捨てるように言うと
パパは乱暴に障子を開け部屋を出て行った。
ぼくは唇をかみしめ、
パパの少し痩せて小さくなった背中を見送った。
それ以後、ピアノの事は一切くちにしなかった。